2018年07月23日
清川まち歩き ~戊辰戦争清川口の戦い~
今から150年程前、
庄内町清川は戊辰戦争の合戦場になりました。
慶応4年4月24日朝、
村の女性が山菜取りに山に行くと、
見慣れない格好をした兵士達を見つけ、
「官軍がいる!」と大騒ぎになりました。
荘内藩総大将松平甚三郎は、
立谷沢川を挟んだ御殿林を陣地としました。
官軍は腹巻岩と蘭山を陣地とし、
御殿林を目当てに絶え間なく銃を撃ち続けました。
荘内勢も大砲小砲で応戦し、
激しい銃撃戦で、
御殿林の杉の木で銃の跡がないものはない!
と言われる程でした。
午前中は苦戦しましたが、
午後からは応援もあり逆転し、
わずか一日で荘内藩は勝利します。
これが東北の戊辰戦争の始まり、清川口の戦いでした。
◆お問い合わせ
庄内町観光協会 0234-42-2922
要予約:きよかわ観光ガイドのご案内もお受けします。
庄内町清川は戊辰戦争の合戦場になりました。
慶応4年4月24日朝、
村の女性が山菜取りに山に行くと、
見慣れない格好をした兵士達を見つけ、
「官軍がいる!」と大騒ぎになりました。
荘内藩総大将松平甚三郎は、
立谷沢川を挟んだ御殿林を陣地としました。
官軍は腹巻岩と蘭山を陣地とし、
御殿林を目当てに絶え間なく銃を撃ち続けました。
荘内勢も大砲小砲で応戦し、
激しい銃撃戦で、
御殿林の杉の木で銃の跡がないものはない!
と言われる程でした。
午前中は苦戦しましたが、
午後からは応援もあり逆転し、
わずか一日で荘内藩は勝利します。
これが東北の戊辰戦争の始まり、清川口の戦いでした。
戊辰戦争清川口の戦い
清川から腹巻岩を望む
古戦場 御殿林
今は散策コースになっています
。若くして亡くなった官軍兵が眠る官軍墳墓
清川口の戦いから25年後、
正岡子規はここで
「蜩も二十五年の昔かな」の句を残しました。
正岡子規はここで
「蜩も二十五年の昔かな」の句を残しました。
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要予約:きよかわ観光ガイドのご案内もお受けします。